
以前ノマドと複業化というエントリで、時代が分業から複業に移っているという視点でノマドを考えました。今回は創造力という視点から考えてみようと思います。
ヒトの脳みそがある時何を考えるかは自発的で直接コントロールできません。街を歩いていて頭の薄い人を見かけた時、(あ、ハゲだ!)と心の中で思ってしまうのを止める事はできません。しかし、そこで「あの人、ハゲ!」と口に出していってしまうのはせいぜい子供で、ほとんどの場合空気を読んで黙っています。
しかし、時間をかければ何を考えるかある程度コントロールできます。(あ、ハゲだ!)と思った後に(俺も明日は我が身。そんな風に考えるもんじゃない)と内省することはできます。そんな内省を繰り返していたら、いずれ頭の薄い人を見かけたら(あ、頭の薄い人だ)という言葉で感じるようになるかもしれません。
創造性についてはどうでしょう。あるプロジェクトに真剣に取り組んでいれば何か新しい着想を得るかもしれません。しかし、例えばプロジェクトの終盤で周りが混乱すると思えば口に出すことなく手元に記録して次期プロジェクトで生かそうとするかもしれません。そこまではまだ許容できますが、場合によっては(こんな状況でこんなこと思いつくもんじゃない)と着想したこと自分を責めるかもしれません。しかも無意識に。
これは創造力の危機です。せっかく異分野交流会やFacebookの新たなつながりによって刺激を受け自分の感性を研ぎ澄ましても、会社に戻れば自分でせっせと丸め直しているかもしれません。周りにも「独創的なアイデアを」と言われているのに、実際には全力で普通のアイデアを考えるよう、し向けてしまうのです。そこで独立やノマドワーキングが意識されます。
デザイナーやアーティストにとっては独立は昔から良くあるスタイルです。クライアントごとに相手の要望に応じた創造をしつつも、独立していることで自分の創造性の軸は守ります。あるクライアントのプロジェクト中に、関連はしているんだけど口には出さない方が良い発想が頭に訪れれば、(お、俺すげえこと思いついた。今は言わない方がいいけど)とそっと自分のアイデアストックに記録します。思いついたことを責めることなどありません。そして後で他のプロジェクトに応用したり自分自身のプロジェクトに活用したりできる日まで暖めます。自分の創造性を研ぎ澄ますために独立のスタイルを選択するのです。
いまや高い創造力を求められるのは、デザイナーやアーティストだけではありません。幅広い業種で求められています。もし今会社で素晴らしいチームに恵まれ、自分の創造性が守られ、あるいはむしろ高められているのだとしたら、それはむしろ多少の不都合(長い通勤時間など)があってもそこで働くモチベーションになるでしょう。しかし、もしそうでないのだとしたら、自分の中に育ち始めた「金の卵を産むニワトリ」がのびのびと生きられる環境を真剣に考えていることでしょう。そのひとつの答がノマドスタイルです。
「金の卵を産むニワトリ」を育む方法はノマドスタイルだけではありませんが、今後ますますノマドな人が増えることは、イノベーションの源泉にもなります。研ぎ澄まされた創造力を携えたノマドが様々なチームに入り、あるいはノマド同士が出会い、様々なイノベーションが起こることでしょう。楽しみです。
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